どこにでもあるようなデザインなんだけれど、ひとまず更新ほぼ完了。
後はちょっと画像なんかを足してみたりして、なんか目新しいのがあったらそういうのも導入してみたりして、重くなりすぎないように注意しつつ完成に向けてがんばりたいと思ってる次第です。
と、いいながらも今はWordPressの方のデザインの変更を考えていたりして、良いテンプレートでもないかなぁと思ってたりします。
日本語に対応させるのは結構手間なんだけれど。
さて、もうちょいと調整してみます。
どこにでもあるようなデザインなんだけれど、ひとまず更新ほぼ完了。
後はちょっと画像なんかを足してみたりして、なんか目新しいのがあったらそういうのも導入してみたりして、重くなりすぎないように注意しつつ完成に向けてがんばりたいと思ってる次第です。
と、いいながらも今はWordPressの方のデザインの変更を考えていたりして、良いテンプレートでもないかなぁと思ってたりします。
日本語に対応させるのは結構手間なんだけれど。
さて、もうちょいと調整してみます。
地震があったと言う事で、今し方その模様をニュースで見たわけですが、罰当たりだけれど思わずこれは残しておかねばなるまいと思い、メモとして残しておきます。
震度0:地震計(震度計)が検知し、人は揺れを感じない。多くの胸も揺れない
震度1:地震や揺れに敏感若しくは過敏な限られた一部の人が、地震に気付く。Gカップの胸がわずかに揺れる
震度2:多くの人が地震であることに気付き、睡眠中の人の一部は目を覚ます。Dカップ以上の胸が揺れる
震度3:殆どの人が揺れを感じる。揺れの時間が長く続くと不安や恐怖を感じる人が出る。Bカップ以上の胸が揺れる
震度4:殆どの人が恐怖感をおぼえ、身の安全を図ろうとし始める。机等の下に潜る人が現れる。Aカップ以外の胸が揺れる
震度5弱:殆どの人が恐怖感をおぼえ、身の安全を図ろうとする。歩行に支障が出始める。ほとんどの胸が揺れる。姉歯物件倒壊
震度5強:恐怖を感じ、たいていの人が行動を中断する。食器棚などの棚の中にあるものが落ちてくる。Gカップ以上の胸が形を保てなくなる
震度6弱:立っていることが困難になる。固定していない重い家具の多くが動いたり転倒する。 Dカップ以上の胸が形を保てなくなる
震度6強:立っていることができず、はわないと動くことができない。Cカップ以上の胸が形を保てなくなる
震度7:落下物や揺れに翻弄され、自由意思で行動できない。殆どの家具が揺れにあわせて移動する。
上手いこと言う奴もいるもんだね。
この1年は早かったなぁ。
何かしよう、何かしようと思っていた1年だったけれど、やはり去年と同じく特にこれと言って何もない1年だった。
夏にPCが水浸しになった事と、インフルにかかったのが一番の出来事だろうか。
Mr.Children 「365日」 -つながってる- 編 (NTT 西日本CM)
ミスチルらしい。とても良い曲だと思う。
そういや今年はなぜか「しるし」をよく歌ったなぁ。
出会いがあり別れがあり、楽しいこともあって悲しいこともあるのが人生だけれど、
まぁよくこんなに平坦というか、つくづく普通な人生を送れたなぁと自分の事ながら感心したり。
寒い毎日が続いてるけれど、風邪なんかひいていないかなぁと、物思いにふけったり。
企業が大きくなるとマニュアルを作りたがります。そのマニュアルに沿ってやっていればおそらくは間違いなく事が進むでしょう。
しかし、未来の予想は思いがけない方向に傾くことがあります。こちらが狙ったように事が運ばないこともあるわけです。
さて、こんな場面を定義してみます。
受付の順番待ちで、その受付カウンターはまず発券して、問診票を書き、次にその問診票を定位置に収めます。
すると受付担当が順番にお客さんを呼び受付していくわけです。
こういう時によくあるのが、順番間違いであり、呼び出した順番が飛んでしまうことがあります。気をつけて受付をしているようですが、思った通りには行かないこともあるわけです。
さて、二人のお客さんが受付しました。整理券を先に取ったAさんは問診票を書いています。後からBさんが来ました。同じように整理券を取り問診票を書きます。ところがAさんよりBさんの方が早く問診票を書き終わり、それを投稿場所に先に投函したわけです。
マニュアルでは、先にAさんの受付をしてそれが終わったらBさんと言う順序になっています。Aさんの受付をしている間はBさんは待ってもらうわけです。
自分がお客さんで行く場合、何か問題があって行っているわけですから一番の煩わしさは「待つこと」と僕は思います。受付に待ち時間がないのが僕の理想です。行ってすぐ診断、これが最適だろうと思うんです。ところが受付する人が一人であるならマニュアル通りにまずAさん、次にBさんが適当なのでしょうが、受付できる人が複数いた場合どうでしょう?
まず受付する側から考えると、まずAさんの問診票の投函を待ってBさんを呼び出す。マニュアル通りならこうです。ただしBさんは少し待ってもらう必要があります。この待つ時間はAさんが問診票を書く時間です。
次に受付してもらう側からでは僕はこう思います。例え順番通りであろうと、受付できるなら先に投稿した自分を先に見てくれと。
僕が思う最適解は、複数人、この場合なら二人受付する人がいるならAさんに「先にあちらの方が投函されましたので申し訳ありませんが、あちらから受付させていただきます」と断りを入れて、まずBさんを受付けて、問診票を書かれたAさんは別の受付する係が問診票を書かれたら即座に、受付する事でAさんBさん共に「待ち時間なく受付できる」と言うのを選択します。
AさんBさん共に待ち時間なく受付できるわけですから、お客さんにとって一番良い状態で受付できていると考えるわけです。
ただ、こういった現場にはこう考える人がいます。
例えばお客さんが整理券だけを持ってどこかに行かれてしまった場合、受付の順番的には先に受け付けているため「何で俺を飛ばすんだ」と言う人がいるかもしれないので順番は守りましょう。それがマニュアル通りの答えですと考える人がいるわけです。
しかし、僕はここにも反論があります。発券して、問診票を書いて投函すると言う決まりはきちんとして掲載されているわけで、その通りに行っていないお客さんを優先しても良いものかと。
正しい順序で受け付けして下さいと言うのを理解できなかった、あるいはちょっと携帯に電話がかかってきて外に出ている間に順番を飛ばされてしまった。こういう事はあり得る状況です。
僕は思うんです。書き方が分からなければ「聞く」事もできたでしょうし、外に出るのであれば「ちょと待ってて」と「言う」事もできると。自分の判断で正しい受付をしなかったから順番を飛ばされたと言う事で受付する方に怒ると言うのはいかがなものでしょう?
またそういう人を順番が先だからと言うことで優先するというのはサービス業としていかがなものでしょうか?
すでに正しく書いて待っていただいているお客さんもそこにはいます。放送で呼び出してもそれに気がつかなかった。と言うお客さんも中にはいるでしょう。
マニュアル通りにしても誰かに弊害が起こる場合がある。マニュアル通りにしなくても弊害が起こる場合もある。
未来というのは予測しきれないものです。それでも日夜どうすれば最適に受付する事ができるかを考えている人もいます。
答えは簡単です。お客さんが一番良い形で受付できれば文句なんてひとつも出ない。ただそれだけなんです。
マニュアル人間はここを忘れがちです。お客さんを待たせてもマニュアル通りに任務を遂行する。そして、マニュアル通りにしない人にこう言います。「マニュアル通りにして下さい」と。
併せてこんな事も言います。時間がかかるのはマニュアル通りにしないからだと。
僕はギターを弾き語れ!でギターの教本を題材にしてこう言います。ギターの教本通りにしてギターを弾けるようになる初心者は少ないと。
そしてこうも言います。ギターの教本を理解できるのはギター中級者以上であると。
マニュアルとは誰が見ても分かるように書いてはあるのですが、書いている人は直木賞作家でも何でもありません。その人のボキャブラリィで書かれています。初心者には説明が必要な単語も何の説明もなく、さもそれが当たり前のように書いています。
ギターの教本もそうです。これから始める人には難解な解説がつらつらと当たり前のようにでてきます。ギターの教本だけではなく、プログラムの入門、資格の問題集などなど。知識がないものにしては難しい書き方がしてあるのです。
マニュアル通りにできる人は、それが理解できているのでしょう。そういう人は教本で理解してギターが弾けるようになるかもしれません。
ただ僕はダメだったし、僕にギターを教えて欲しいと言う人もそういうのは得意ではなかった。大多数がそうだとは言いませんが、そういう人は多いのです。
百聞は一見にしかずと言うのはよく言った言葉で、何度も言い聞かせるより一度見せた方がより簡単に理解できるのは僕がギターを教えた人もそうでした。
山本五十六と言う人がいました。先の大戦の元帥で海軍大将、連合艦隊の司令官です。この人の語録にこういうのがあります。
やってみせ 言って聞かせて させて見せ ほめてやらねば 人は動かじ
まず自分が動き人を頼りにしない。そしてダメな所は修正して、それを試させる。そしてできたら誉めてやらないと人は育たないと言う事なんでしょう。
マニュアル人間に多いのは人に任せるくせに詳細を伝えない。何をどうして欲しいのかを言わない。分からなければマニュアルを読めと言う。
それが必ずしも悪いとは言い切れません。自主性を重んじるというのは大切です。しかしそれはある程度できるようになってから。
長々と書きましたが、マニュアルなんぞよりもお客さんの事を考えたら何が大切かわかるだろう?と言う事です。
自分がお客さんとして出向いた時、同じ事をされたらどう考えるか?なぜにこんな事がわからないのかが人間て不思議だなぁと思う次第です。
いろんな見方があるけれど、僕の場合の夏は七夕から始まり地蔵盆で終わります。
たぶん、子供の頃の思い出というか風習というか、そういうのにあわせて一番気温の変化がある時期なのかな、この2つのイベントで季節の変わりを感じるわけです。
この2つのイベントに合わせて、僕が二十歳の頃初めて新しいイベントが加わりました。獅子座流星群がそれです。
流星群はいくつかあるみたいなので、必ず獅子座流星群というわけではないのですが、あの流星群を初めて見た時、得も言われぬ美しさとはかなさを感じたものでした。
これにはいくつか理由があるのですが、その理由のひとつは「ギターを弾き語れ!管理人ブログ」で流星群を検索していただければわかるかもしれません。
管理人ブログでリンクが切れているかもしれないので、念のためとBGM用にこちらにも貼っておきます。
鬼束ちひろ 流星群
あの夜は風鈴が強く鳴るぐらいの風が吹いていて、縁側の一番奥に置いてあったキーボード(昔買ったシンセサイザー)を弾きながら、汗をかいたコップで麦茶を飲んでいたわけです。ふとTVのニュースでその日の夜の8時ぐらい、南西の方向と言ったと記憶してるんだけれど、流星群が見れますとアナウンサーが言う。
流星群ってどんなんだろうと思っていたんだけれど、たいして気にもしていなかった僕は、畳に寝転がってTVを見ていた。
風鈴がやたらうるさいなぁと思って外を見て、流星群ってどんなんだろうと思い出したように時間になる前に外に出る。
家の横にあった小屋からイスを出してきて、空を眺めていた。たぶん、8時ちょっと過ぎだったろう。いきなりひとつ流れ星が流れた。
流れ星自体がそうそう見れるものではなかったから、感動していると、それに併せるようにいくつも流れ星が同じ方向に落ちていく。
田舎だから空を遮るものは何もなく、その日は雲一つ無かったようで心地よい風に吹かれながら、その数分程度の流星群を眺めていた。
普段生活していると空を眺めるより下を見下ろして過ごすことの方が多い。街を歩いていても部屋の中にいてもだ。けれども、上を眺めた時、知らない所でこんなに美しいものがあったなんて二十年も生きていた中で初めて知った。
今年は見れなかったけれど、来年晴れていたらもう一度見れると良いなと思う。今度は誰かと一緒に見たいもんだ。
呼ぶ声はいつだって 悲しみに変わるだけ
こんなにも醜い私を こんなにも証明するだけ でも必要として・・・
あなたが触れない私なら 無いのと同じだから
鬼束ちひろの流星群のサビはこうある。「あなたが触れない私なら無いのと同じだから」。
僕はここを、すでに僕らの知らない所で起こっている事象を僕らが気づいていないだけ。気づいていなければ無いのと同じと読んだりしてみた。
いくら生活が苦しくても死ぬほどではない。日本って平和だなぁと思う事もある。けれども一方海の向こうでは今でも戦争があり、多くの人が飢えで死んでいったりもしている。僕らはその事実を知らないまま過ごしている。まるでそんなことを気にもしないで。
漫画ベルセルクにはこんな事が書いてある。妖精が出てくるんだけど、宗教を狂信的に信じている人はその姿が見えない。しかしある奇怪な出来事を受けるとその姿が見えたりする。けれども「そんなものはない」とまた現実逃避する。ただ、それはそこに確かにあって信じようとしていないだけなんだと。
人が普通の生活をしている時、アリの存在なんか気にもしない。見ようとしなければ見えないものだ。きっと僕らは見ようとしないものがたくさんあって、たくさんのことに気がついていないだけなんだろうと、なぜかふと、そう思った夏の夜でした。