夏、流星群

いろんな見方があるけれど、僕の場合の夏は七夕から始まり地蔵盆で終わります。
たぶん、子供の頃の思い出というか風習というか、そういうのにあわせて一番気温の変化がある時期なのかな、この2つのイベントで季節の変わりを感じるわけです。
この2つのイベントに合わせて、僕が二十歳の頃初めて新しいイベントが加わりました。獅子座流星群がそれです。
流星群はいくつかあるみたいなので、必ず獅子座流星群というわけではないのですが、あの流星群を初めて見た時、得も言われぬ美しさとはかなさを感じたものでした。
これにはいくつか理由があるのですが、その理由のひとつは「ギターを弾き語れ!管理人ブログ」で流星群を検索していただければわかるかもしれません。

管理人ブログでリンクが切れているかもしれないので、念のためとBGM用にこちらにも貼っておきます。

鬼束ちひろ 流星群

あの夜は風鈴が強く鳴るぐらいの風が吹いていて、縁側の一番奥に置いてあったキーボード(昔買ったシンセサイザー)を弾きながら、汗をかいたコップで麦茶を飲んでいたわけです。ふとTVのニュースでその日の夜の8時ぐらい、南西の方向と言ったと記憶してるんだけれど、流星群が見れますとアナウンサーが言う。
流星群ってどんなんだろうと思っていたんだけれど、たいして気にもしていなかった僕は、畳に寝転がってTVを見ていた。
風鈴がやたらうるさいなぁと思って外を見て、流星群ってどんなんだろうと思い出したように時間になる前に外に出る。
家の横にあった小屋からイスを出してきて、空を眺めていた。たぶん、8時ちょっと過ぎだったろう。いきなりひとつ流れ星が流れた。
流れ星自体がそうそう見れるものではなかったから、感動していると、それに併せるようにいくつも流れ星が同じ方向に落ちていく。

田舎だから空を遮るものは何もなく、その日は雲一つ無かったようで心地よい風に吹かれながら、その数分程度の流星群を眺めていた。
普段生活していると空を眺めるより下を見下ろして過ごすことの方が多い。街を歩いていても部屋の中にいてもだ。けれども、上を眺めた時、知らない所でこんなに美しいものがあったなんて二十年も生きていた中で初めて知った。

今年は見れなかったけれど、来年晴れていたらもう一度見れると良いなと思う。今度は誰かと一緒に見たいもんだ。

呼ぶ声はいつだって 悲しみに変わるだけ
こんなにも醜い私を こんなにも証明するだけ でも必要として・・・
あなたが触れない私なら 無いのと同じだから

鬼束ちひろの流星群のサビはこうある。「あなたが触れない私なら無いのと同じだから」。
僕はここを、すでに僕らの知らない所で起こっている事象を僕らが気づいていないだけ。気づいていなければ無いのと同じと読んだりしてみた。
いくら生活が苦しくても死ぬほどではない。日本って平和だなぁと思う事もある。けれども一方海の向こうでは今でも戦争があり、多くの人が飢えで死んでいったりもしている。僕らはその事実を知らないまま過ごしている。まるでそんなことを気にもしないで。

漫画ベルセルクにはこんな事が書いてある。妖精が出てくるんだけど、宗教を狂信的に信じている人はその姿が見えない。しかしある奇怪な出来事を受けるとその姿が見えたりする。けれども「そんなものはない」とまた現実逃避する。ただ、それはそこに確かにあって信じようとしていないだけなんだと。
人が普通の生活をしている時、アリの存在なんか気にもしない。見ようとしなければ見えないものだ。きっと僕らは見ようとしないものがたくさんあって、たくさんのことに気がついていないだけなんだろうと、なぜかふと、そう思った夏の夜でした。

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